生きられるかどうか、その狭間にいた頃
44歳の時、私は乳がんになりました。
正直に言うと、当時はどれくらい生きられるのか分からない、
そんな時期の中にいました。
若い頃からコツコツ貯めてきたお金がありましたが、
それを使う気にはとてもなれず、
ただ治療を進めることしかできませんでした。
それから数年が経ちました。
再発への覚悟も、正直かなりしていました。
でも、ふと気づくと、
通院は続けながらも、私は普通に働いて、
自分の足で立てていました。
本屋さんでの、ちょっと運命的な出会い
そんな時期に、世間で「にーさ」という言葉が
噂になり始めます。
それが少しずつ私の気持ちを揺さぶっていきました。
きっかけは、本屋さんでふと目に止まった一冊の本でした。
ランキング1位、表紙には可愛いライオンさんが描かれた
「お金の大学 改訂版」。
読書は嫌いではなかったので、つい手に取ってみたんです。
読んでみると、自分の中の常識が完全に覆るような感覚でした。
著者は両学長という方で、
YouTubeで朝6時45分頃、
ほとんど毎朝ライブをされているらしい。
しかも、それを何年も続けているとのこと。
ついつい、朝の支度のついでに聞くようになっていきました。
貯金はあった、でもそれだけだった
私には、それなりの貯金がありました。
コツコツ働いて、コツコツ貯めてきたお金です。
銀行に預けておけば安心、そう思っていました。今までは。
でも、毎朝聞いていたそのライブが、その考えを静かに崩していきました。
「銀行に入れているだけじゃ、インフレに負ける」
朝の支度をしながら、なんとなく耳に入れていただけだったのに、
ある日はっきりと腹に落ちた言葉がありました。
銀行にお金を置いているだけでは、
実質的には目減りしていく。
物価が上がれば、同じ金額でも買えるものは減っていく。
つまり、動かさないことにもリスクがある。
これは衝撃でした。
「貯金=安全」だと思い込んでいたので、
その前提がひっくり返された感覚です。
それでも、怖かった
とはいえ、すぐに行動できたわけではありません。
正直に言うと、怖かったんです。
人間って、未知のものを本能的に怖く感じる生き物なんだと思います。
そして怖いと感じると、次にやることは決まっていて、
「やらない理由」を一生懸命探し始めるんですよね。
「今は忙しいから」「もう少し勉強してから」「様子を見てから」
言い訳なら、いくらでも思いつきました。
聞き続けているうちに、腹落ちしていった
それでも、リベ大のライブは毎朝聞き続けていました。
すると不思議なもので、
少しずつ「これはやって大丈夫なこと」
「これはやってはいけないこと」の輪郭が、
自分の中ではっきりしてくるんです。
一度で理解しようとしなくてよかったんだと思います。
毎日少しずつ、同じような話を色んな角度から聞くことで、
知識というより「感覚」として馴染んでいった感じでした。
証券口座を作る作業自体は、
正直かなり大変でした。
51歳、そもそも申し込みでつまづきかけた私。
難しい用語もあるし、そもそもインデックス投資ってなんだろう?
ってくらい何にも分かっていなかった。
しかし。
今やらなければ、どんどんインフレに
押しつぶされてしまうと恐怖に感じて
必死でなんとか申し込み完了。
始めてみたら、気分が良かった
口座を開いて、実際に積み立てを始めてみると、
少しずつ評価額が増えていくのが見えるようになりました。
これが、素直に嬉しかった。
「お金が働いてくれている」という感覚を、
初めて実感として持てた瞬間でした。
でも、浮かれてはいない
ただ、勘違いしてはいけないと思っています。
これから先、資産が大きく下がる局面も、
当然あるはずです。それも織り込み済みです。
だからこそ、投資に回すお金とは別に、
生活を守るための防衛資金をきちんと確保しています。
増える喜びだけを見ていたら、
下がったときに冷静ではいられません。
「上がることへの期待」と「下がることへの備え」、
その両方を持っておくことが、
50代から始める上での最低条件だと思っています。
おわりに
貯金があったから安心、ではなく、
貯金があったからこそ次の一歩を考えられた。
怖かったけれど、少しずつ知識が腹落ちしていって、
防衛資金という土台を作った上で、一歩を踏み出しました。
次の記事では、この防衛資金をどうやって決めたか、
具体的にお話ししようと思います。
「防衛資金を決めた話」 →「カニ歩き5日間の記録」 →「特定口座でした」





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